もはや東可児病院循環器科の非公式ブログです(^.^)


by yangt3
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昔、研修医のころの話です.

3日に1回の当直でハードな毎日を送っておりました.
まだまだやっと挿管、中心静脈がとれる程度の
技能しかなく、当直は試練の連続でした.
上級医が必ず一緒に当直しており、自分で手に負えない時は
上級医にヘルプを頼んで、なんとか乗り切っていました.

その日の夜は、急性腹症の緊急手術のために
上級医は、手が離せない状態でした.
そこに交通外傷で心肺停止の救急要請.
大変なことになりました.

緊急手術中の上級医に連絡しましたが
手が離せないから、頑張れと励ましの言葉だけ.

途方にくれながら、挿管の準備をし、ボスミンなどの
薬剤を用意し、人工呼吸器の準備をしてCPAの到着を待ちました.

CPAで搬入されてきたのは、オートバイの単独事故でした.
みるとまだ若い男性で、フルフェイスのヘルメットをかぶっていました.
山道の急カーブでスピードを出しすぎて曲がりきれず
転倒しガードレールに激突したとのことです.

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内心 どうしようかと焦りながらも
瞳孔確認、と、ああ〜散大している.
看護婦さんに心臓マッサージをまかせ
手早く挿管、バックマスクにつないで
もう1人の看護婦さんにマスク換気を続けてもらう.
心臓マッサージを看護士さんと交代し
自分で数分の間、心臓マッサージを続ける.
気管内からボスミンを投与.
自己心拍は全然戻らず.
再び心マを、看護婦さんにまかせ
鼠径部より中心静脈を確保.
その後は、ひたすら上級医が来るまでの間
看護士さんに換気してもらいつつ
心臓マッサージを1人で続けていました.

しかし、全然反応なく自己心拍も戻らず
心臓マッサージ、換気を続け、ボスミン投与も続けます.

四肢には、ほとんど外傷なく、フルフェースのヘルメットをしていたためか
頭部にも目立った外傷はありませんでした.

1時間ほどしたところで上級医が、救急室に駆けつけてきました.
状況を聞いてもらって、患者さんを見てもらい
結局蘇生せず、CPRを中止しました.

どうやらガードレールに激突した際に
頚部を後ろから強打したと推定され
後からとったレントゲンで頚椎の複雑骨折が認められました.

おそらく即死状態で、誰がやっても救命は無理だったよと
上級医に慰められても、
自分の力が足らなかったような思いがあり
しばらくは落ちこんでしまいました.

昔、医学部で勉強していた頃、渡辺淳一氏の 小説を読んでいました.
渡辺氏の自伝的な小説で、研修医のころ、なにもできないまま
僻地に派遣されたとのことです.あるひ外傷で、血胸となった人が
救急で来院.結局、なにもできずに死なせてしまったという話がありました.
その後、何年かして同じように血胸の患者が来たが、
さっと、胸腔ドレナージをして、輸血して、
適切な処置を行うことができて救命したというのがその話の続きです.

救急の場で、技量が未熟なばかりに患者の命を危険にさらしてはならないと
その頃思ったものです.
あれから何年も経って、治療法が確立している疾患、救急に関しては
自分で処置をしたり、しかるべき高次医療機関に搬送するなどして
未熟なために救えないということは少なくなってきたように思います.

それでも、研修医のころに出会ったCPAの人のように
どんなに手をつくしても、多くの優秀な人たちが
懸命に力を尽くしても
いまなお 乗り越えることのできない病魔があるということが
そういう現代医学の限界というようなものが
最近、感じていることです.

医療現場の激務に、気持ちが押しつぶされるような時もありますが
そんな日々を支えてくれているのは、
いままで私が最期まで見取った何人もの患者さんたちの思いでです.

忘れられない人たちの事について
またおいおい お話していきます.

循環器科 進
by yangt3 | 2006-01-25 08:47 | 一般