もはや東可児病院循環器科の非公式ブログです(^.^)


by yangt3
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昔のPCPSとIABP

昔、故古高先生とふたりで
循環器科を 切り盛り していた頃
まだ最初の頃はバルーン拡張によるPTCAしかなく、
DCAもステントも、ない時代がありました.
いまから思うと本当に大変な時代でした.
パーフュージョンバルーンが使えるようになったのは
もう少し後の話です.
バルーンで拡げてショックとなった場合は
IABPを挿入するか、心臓外科の先生にたのんでバイパスするかしか
ありませんでした.

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昔のIABPは、とてつもなく大きなものでした.
(というより巨大!でした)
駄菓子屋のアイスクリームなんかがいれてあるような
冷蔵庫と同じ大きさでした.
これでさえ、携帯性抜群!と宣伝されていました.
持ち上げるためには大人6人がかりでやっとという
代物でした.

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ある時左主幹部の急性心筋梗塞が来院.
IABPをすぐに挿入し、とりあえず手持ちの武器である
バルーン拡張を行いましたが
リコイルを繰り返したため
やっと使えるようになったパーフュージョンバルーンを挿入し
近くの心臓外科病院に搬送となりました.
(その頃勤めていた病院では、心臓外科の先生がちょうど
辞められて後任者が決まらなかった頃の出来事です).

救急車を呼び、IABPを装着した患者さんを救急車に
収容するのがまた大変でした.
大人6人がかりで真っ赤な顔で
力を振り絞ってやっと救急車に乗せられたものです.
到着まで20〜30分を要したのですが
到着寸前に心室細動となり、車内で心臓マッサージしたり
薬剤を注入しながら
大変な思いをして心臓外科の施設に搬送したものです.
その後すぐに緊急バイパス手術が施行されて
なんとかBail-outでき、患者さんは、無事に軽快したときき
ほっとしました.

その頃は、古高先生の部下として
搬送などは、全部私の役目でした.
本当に大変な時代でした.

またある時、同じく重症の3枝病変の急性心筋梗塞で
IABP入れながらPTCA治療を行いましたが
ショック状態となり、心室細動を繰り返した症例がありました.
IABPのみのサポートでは、心臓外科手術への搬送は
困難と考えられました.
手をこまねいていてもそのままじり貧の状態でした.
やむなく業者に電話をかけまくって
人工心肺を借りることになりました.
そのころは、まだPCPSが出始めのころで
今のスマートなコンパクトな機械とは全然別物でした.

通常のオペ室で使用されるLVAD(人工心肺)をそのまま
もってきたような代物でした.
患者さんの部屋に次々に機械が運び込まれ
部屋がサーバ室のように機械で溢れてしまいました.
今のPCPSであれば、PCPSを装着したまま
移動が可能ですが
その頃の出始めのPCPSは、一度装着したら二度と
移動するのが困難なほど沢山の機械が必要な代物でした.

それでも古高先生とふたり、なんとかPCPS、循環管理を続け
PCPS、IABPの離脱に成功.
集中的内科治療である程度心不全の改善をみたのち
慢性期のバイパス手術のために
この方も心臓外科施設に転院されました.

本当に大変な時代でした.
それでも古高先生と一緒に一生懸命がんばった時代でもあります.
その頃のがんばりは、今でも誇りに思うものであり
今の私の基礎となっていると思います.

古高先生は、遠い所にいってしまわれましたが
古高先生から受け継いだ熱い心は
今も絶やすことなくしっかり持っているつもりです.

今は、東可児病院の心カテチーム、多くのスタッフの皆さんとともに
熱い思いを共有することができ
少し肩の荷がおりた感じです.

そんなわけでハードな仕事
まだまだめげずに頑張れそうです.
by yangt3 | 2006-04-20 03:52 | 古高先生の想い出