もはや東可児病院循環器科の非公式ブログです(^.^)


by yangt3
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独りではつらい道のりも、ふたり、そして皆と一緒なら

人間は、基本的には、孤独な生き物です.
有名な詩人 ヘルマン・ヘッセの詩の一節に
「人間は死ぬ時は独りなのだから」とあります.
しかしヘッセがこの言葉に込めているのは
人間は孤独だからこそ
現世で助け合って生きて行くべきということではないでしょうか.

いろいろな局面で、職場で、救急の現場で
責任の重みが増えれば増えるほど
大事な決断を独りで行わなければならなくなります.
そうしたストレスにさらされて
孤独感は一層強まるかもしれませんが
そうした皆さんをいつも見守り支えている人たちのことを
忘れないでいて欲しいのです.

独りではつらい道のりも、ふたり、そして皆と一緒なら_a0055913_074610.gif





私が前の病院で 恩師 古高先生と出会った時のことです.
古高先生は、循環器医として、内科医として救急医として
病院を支え続けていました.
病院の創立から、全くゼロから循環器科を立ち上げられたのです.

私が出会った時には
そうした積年のストレスと疲労が蓄積し
古高先生は、本当につらそうでした.
たった独りであらゆるものを支えられていたからです.
古高先生以外にも数人の内科医がいてそれぞれ
目一杯に働いていたのですが、それ以上に業務が過酷だったのです.
今は、カナダの医学部の助教授となった羅先生や
今も一緒に働いている浦先生も、ぼろぼろになって働いていました.

そこに私一人が新たな力として加わったことで
わずか一人ですが、古高先生を含めて
皆を少しは助けることができたと思います.

その後、古高先生は、少しずつ元気を取り戻し
私が仲間になって1年経った頃には
以前のようにばりばりと仕事をされるようになりました.

お互いを助け合い、いわゆる あうんの呼吸で
最強の内科チームであったと思っています.

その後、古高先生の後押しもあって
羅先生は、アメリカに渡りレジデントに.
多くの仲間もそれぞれの道に進み
一時は古高先生、私、浦先生の3人だけで
一時期の内科を切り盛りしていた時代がありました.

時間的にも体力的にも苦しかったけれど
この時に3人で頑張ったことが
今も自分の支えになっているような気がします.

古高先生が若くして旅立たれ
浦先生とふたりとなってしまいましたが
いま この東可児の地で
ふたり 昔と同じように仲間として働いています.

一人では、困難な仕事も、浦先生とふたり協力すれば
乗り越えることができそうです.

そしてさらに皆さんの力が加わればもっともっと
大きな困難も乗り越えられそうです.

独りではつらい道のりも、ふたり、そして皆と一緒なら_a0055913_032975.gif


先日、あるスタッフが
こんな仕事はとても無理ですとか
無理な仕事は依頼しないでくださいとか
ネガティブな発言があって、私は非常にがっかりしました.

人間は、万能でなく、限りがある以上
今は、できないことが会って当然です.
けれど、みんなで助け合い、話し合い
なんとか困難を乗り越えて行こうと努力することは
可能なはずです.

東可児病院の新病棟完成を控えた今
スタッフの皆さんからこうしたネガティブな発言を聞くのは
非常に残念なことです.

一人では、無理でもふたり、そして皆で一緒に考えれば
困難を乗り越える方法が見つかるかもしれません.
決して諦めず、無理なことも
解決できるように努力する心を忘れない.
そういう気持ちを ぜひ東可児病院の
若いスタッフにも持っていただきたいと思います.

私は、前の病院での副院長という職を投げ捨てて
この東可児病院で一介の循環器科医として赴任しました.
浦先生も内科部長という職を投げ捨てて私に付き合ってくれました.

東可児病院を地域の基幹病院としてさらに発展させるというのが
ふたりの今の目標です.
それが故 古高先生の遺志を継ぐことに繋がると思って
毎日頑張っています.

東可児病院の若いスタッフの方々も
ぜひそれぞれの目標を持っていただきたいと思います.
私たちは、仲間として最大限に
それを応援していくつもりです.

東可児病院のスタッフだけでなく、地域の方々、地域の医療機関の方々
地域の救急隊、救急救命士の方々は、皆仲間だと思っています.
なにも恐れることなく
これからも共に目標に向かって働けたらと思います.
by yangt3 | 2006-04-29 00:04 | 古高先生の想い出