もはや東可児病院循環器科の非公式ブログです(^.^)


by yangt3
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救急存亡の時代

asahi.com のネット記事で
救急存亡のシリーズが始まりました.

asahi.com 2008.02.12
「殉職」 救命の代償 我が命
http://www.asahi.com/kansai/news/kyuukyuu/OSK200802120037.html

 銀のシートに入った錠剤を机に広げた。抗うつ剤.
 2、3粒取り出しては、缶ビールで流し込む.
 一向に落ち着かない。また数粒、さらに数粒と飲み続けた.
 昨夏の夜のことだ.

 午前1時を回ると、意識がぼんやりしてきた.
 気がつくと病院のベッドの上.
 朝、出勤して来ないのを心配した同僚が駆けつけてくれた.
 飲んだのはざっと100錠.致死量は優に超えていた.

 男性は45歳.当時、関西の救命救急センターで働く救急医だった.

救急存亡の時代_a0055913_11532574.gif


救急現場は、本当に過酷な状況です.




 大学病院で10年余、小児科医として勤務.
 生体肝移植に携わった経験から、
 集中治療室での患者管理の技術を高めようと、
 05年の夏、救急の世界に飛び込んだ.

 想像を超える激務はすぐやってきた.当直は月6回.
 一晩に重症患者が4人ほど運ばれてくる.
 重篤なら3、4時間はかかり切り.集中治療室にいる別の患者も
 いつ急変するかわからない.極度の緊張で仮眠も取れないまま、
 連続40時間勤務が当たり前になった.

 心肺停止の赤ん坊を蘇生させた時、脳に損傷が見つかり、
 父親に怒鳴り込まれた.「医療ミスやないか」.
 子ども好きの男性にはショックだった.
 落ち込む日が続き、うつ病と診断された.

 大量服薬による「自殺未遂」.
 周囲にはそう言われたが、明確な意思はなかった.
 4カ月間仕事を休み、退職した.
 過労が原因で発病したとして労災認定を申請中だ.

 今は民間病院に勤める.「人の命を救うのに自分の命を削っていた.
 救急に戻りたい気持ちもあるが、心も体も持たない」.
 薬はまだ、手放せないでいる.

 患者だけでなく、自らの死と向き合う医師たちがいる。
(中略)

 「心配かけてごめん、お母さん」.
 その電話が、麻酔科勤務の女性研修医と母(63)の最後の会話になった.

 04年の正月明け、十全総合病院(愛媛県新居浜市)の外来病棟で
 倒れているのが発見された.自分で静脈に麻酔薬を注射し、28歳の命を絶った.

 麻酔医は緊急手術が不可欠な救急医療の要だが、病院にはたった2人. 
 1時間以内で駆けつけられるよう求められ、
 近くの温泉に母と出かけた時も昼夜を問わず携帯電話が鳴った.

 03年2月、急に手足に力が入らなくなる「ギラン・バレー症候群」になった.
 3月末まで自宅療養するはずが、病院から「忙しいので戻ってほしい」.
 5月、帯状疱疹(ほうしん)を発症.勤務先に8日入院したが、
 病室から毎日、医療現場に向かった.

 両親は病院を提訴.大阪地裁は昨年5月、過労と自殺との因果関係を認め、
 病院側に約7700万円の賠償を命じたが、大阪高裁で係争が続く.

 「娘は医師不足の犠牲者」.父(64)は、そう信じて疑わない.
(中略)
 厚生労働省の医師勤務状況調査(06年3月)によると、
 病院勤務医の労働時間は1週間当たり平均63.3時間.
 月平均の時間外労働は、同省が「過労死ライン」とする月80時間を超す.
 過労死弁護団全国連絡会議のまとめでは、
 医師が過労死または過労自殺で労災認定されたり、
 労災補償の対象になったりしたのは、
 昨年11月現在で計22件.
 うち16件が02年以降と増加傾向が著しいが、
 「氷山の一角」との声も根強い.
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私の恩師である故 古高先生も
過酷な職場環境によって心身ともに疲れ果ててしまったのかもしれません.

このような医師、医療関係者の過労死の記事を目にするたびに
優しい慈愛に満ちた古高先生の面影を思い出します.

 歓送の歌
 http://tomochans.exblog.jp/3516872/#3516872_1

今でも恩師古高先生は、私の傍らにいて
いつも見守ってくれるているような気がします.

緊急症例が続いたり、重症患者の治療に追われて
家にも帰れず、病院泊まり込みの日々が続くのは
さすがに体力的、精神的にハードです.

なかなか研修医のころのようには無理が利きません.
昔なら一晩寝れば元気百倍だったわけですが
今は、眠っても翌日まで疲れが続いているようです.

どこかで聞いたCMのセリフではありませんが
人の命を支えているのは、やっぱり人だということで
医療器械や技術が進歩したとしても
最後に救急や医療を支えているのは、沢山の人の力です.

賢明の治療にも関わらず、病魔の力に
亡くなられた幾人もの私の受け持ちの患者さんたちのことは
今も決して忘れる事ができません.

それと同様に、志なかばで、若くして身罷った
故 古高先生のことは、これからも忘れる事はありません.

過酷な環境に身を置いたとしても、心も体もぼろぼろになっても
理解してくれる人が居る限り、心配してくれる人が居る限り
頑張れるのではないでしょうか.

一番怖いのは、周囲の人の無関心です.

医療崩壊が当たり前になって、過酷な環境に
お互いのことを気にかける当たり前の心の働きまで
無くなってしまったら
そちらのほうがもっと怖い気がします.

患者さんにとっても、家族にとっても
そして患者さんのために働く医療スタッフにとっても
ほんのささやかな声かけや励ましの言葉が
勇気百倍となることがあります.

大切な人のことを忘れないこと.
無関心こそが最大の敵かもしれません.

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by yangt3 | 2008-02-13 11:54 | ニュース