もはや東可児病院循環器科の非公式ブログです(^.^)


by yangt3
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街場の”病院論”をぜひ

私が医学部に入学した頃は、周りの同級生たちは
親が医者であるという人は、それほど多くなくて
通常のご家庭の御子息がほとんどでした.

首都圏の有名大学のことはわかりませんが
お金持ちのボンボンで、学生時代からベンツを乗り回して
なんてことはまだ珍しかったです.

今のように「セレブ」という言葉がはやる前の話です.
それでも何人かの同級生は、親が医学部教授であったり
大きな病院の御曹司であったり、親類に医療関係者がいたり
つまりは、
子供のころより、当たり前のように、
医学部をめざし、医者になることを目指しているという感じです.

私の場合は、親も医療とは関係なく、親戚にも医療関係もなく
親に医者になるように強制されたわけでもなく
いろいろな状況から、自分で 「医者になろう」と考えて
なんとか これまで頑張ってきたという所です.

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「街場の現代思想」

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文春文庫
内田 樹 著

ご存知、内田先生の最近のエッセイです.
内田先生が語る街場の常識というのは

・文化資本の差が身も蓋もない階層社会を出現させる.

・負け犬は二十一世紀のランティエ

・敬語を使う本当の意味

・自分の給料は不当に安い!?

・フリーター批判者の落とし穴

などなど目からウロコの知見が伝授されます.

ここでいう街場というのは、市井の生活というような
意味合いで使われています.
つまり街場の現代思想というのは
普段着の、日常の、市井の生活における
日々直面する等身大の問題を考えるという書です.

例えば
・「超すに超されぬ、バカの壁」

 最近の若い人たちは、特定ジャンルへの関心の集中があり
 文学であれ、映画であれ、音楽であれ、マンガであれ
 興味のあるジャンルについては
 以上に詳しく、隣接するジャンルについては
 しばしば何も知らない.
 という状況があります.

 音楽や文学の会話をしようとしても
 集中するジャンルが違えば、教養を共有することが
 できないことになります.
 「趣味?音楽聞くこと、もう朝から晩まで!」
 「わ、ほんと?私もよ.ねえ、何聞いているの?」
 「私?マリリン・マンソン.あなたは?」
 「・・・・・スピッツ」
 これで会話が終わってしまいます.

言葉をかえれば、文化資本の偏在ということであり
あらゆる知的領域でも起こっている事象のようです.

私たち医療関係者の世界でも、専門文化が進み
個々の医師、看護士、スタッフは、自分の専門分野については
深い技術と知識を持っていますが
分野が違うだけで、ちんぷんかんぶんということもあります.

この書では、もっと踏み込んで
文化資本の差による 格差社会、二極化社会の顕在化について
語られています.

 「文化資本」が作る境界線と、「年収」が作る境界線とでは、
 「壁」の高さもあつさも桁が違う.
 年収は本人の努力でいくらでも変わりうるけれど、
 子供の頃から浴びてきた分貸本の差は、20歳すぎてからは
 埋めることが絶望的に困難だからである.

 そのような「成人して以後はキャッチアップ不能の指標に
 基づく階層差」が
 いま生まれるつつある、というのです.

文化資本が何かということについては以下の通りです.
・文化資本とは何か・
 「文化資本」には、「家庭」において獲得された
 趣味や教養やマナーと、
 「学校」において学習して獲得された知識、技能、感性の
 二種類がある.つまりは

  家の書斎にあった万巻の書物を読破したとか、
  毎週家族で弦楽四重奏を楽しんだので絶対音感になってしまったとか、
  家にしょっちゅう外国からの友人が来るので
   英語フランス語中国語スワヒリ語などを幼児期から 
    聞き覚えてしまったとか、
  家伝の武芸を仕込まれて育ったので10代で免許皆伝を得てしまったとか、
  家のギャラリーでセザンヌや池大雅を見慣れて育ったので、
   「なんでも鑑定眼」が身に付いてしまった・・・・・・

 こうした気がついたら身に付いていたというものは「身体化された文化資本」
 と呼ばれるものであり
 成長した後に努力して身につけた学歴、資格、人脈、信用のようなものは
 「制度化された文化資本」と呼ばれることになります.

このように文化資本は、「気がついたら、もう身に付いていた」というものであり
「気がついたら、身に付いていなかった人」は、
すでにもうほとんど回復不能の遅れをとっていると
内田先生は語られます.

 というのは、芸術の鑑識眼についても美食についても作法についても
 そのようなものを身につけたいという欲望を持つということは
 すでに歴然とした社会的な際が生じているとのことです.

 この文化資本によって階層化された社会においては
 努力したら負けということになると内田先生は語られます.
 努力しないではじめから勝っている人が
 身体的に文化資産を身につけた人が、総取りするという
 とんでもない社会の原理になってしまいます.

内田先生の本を読んで勉強して、こんなとんでもない
日本の社会の変化に気がつかないで
後で大変なことにならないようにしないと.

このように街場の現代思想という題名の書だけあって
日々の生活に、眼からウロコの話がたくさんです.

全てを紹介しきれないので、はしょりますが
例えば
・敬語について・
敬語というのは、現代日本においてもちゃんと存在する「羅生門」や
「鬼」や「呪」など
「自分に災いをもたらすかもしれないもの」、権力をもつものと
関係しないではすまされない局面で、
「身体をよじって」、相手からの直接攻撃をおやり過ごすための
生存戦略であると内田先生は語られます.
ほんとに眼からウロコですね.

さらに
・ワークモチベーションについて・
・社内改革について・
などなど
仕事の面でも役に立ちそうな話題があります.

街場シリーズには、アメリカ論、中国論などあるのですが
内田先生には、ぜひ街場シリーズとして
街場の病院論を執筆していただきたいと思います.
by yangt3 | 2008-04-16 09:27 | 一般