もはや東可児病院循環器科の非公式ブログです(^.^)


by yangt3
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中年になったお姫様と王子様

「寿命」というグリム童話の物語があるそうです.

 天地創造の後、神様は寿命として全ての
 生きとし生けるものに30年をお与えになった.

 ところがロバは、荷物運搬動物としての我が寿命を
 いやというほど悟ったので、もっと早く重労働から
 解放して頂きたいと願い出た.
 そこで神様は18年、短くしてやった.

 犬は老齢を恐れて、30年から少しサッピいいて欲しいと
 願い出た.そこで神様は了承した.

 猿もまた老齢をいやがり、もっと短くしてくれと
 頼んだ.神様は親切に十年短くしてやった.

 最後に人間が現われた.男も女も30年では満足せず
 もっと長い寿命をねだった.
 そこで神様は人間にはロバのあまりの18年を与えてやった.

 人間がそれでも満足せず、もっと寿命を欲しがったので
 神様は犬からさっ引いた12年を、さらに猿の余りの
 10年も与えた.

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 (お話の続きです)
 こうして人間は最初の30年は健康で幸せに暮らす.
 なぜなら、それが本来の寿命だからだ.

 男も女もロバの18年は働きづめに働き、毎日打たれ
 せかされて過ごす.

 次の12年は犬の人生なので、人間は炉端に座り
 ぶつぶつ不平をいったり、うなったりしながら過ごす.

 最後に猿の人生がやって来ると、好き勝手に振る舞う.
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本当は怖いグリム童話という本もありましたが
童話は本来、大人のためのものなんですよね.

大人の心に効く童話セラピー
お姫さまと王子さまが中年になっても幸せでいるために

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アラン・B・チネン
ハヤカワ・ノンフィクション文庫

希望に燃えた王子様、お姫様であった若者が
いつしかメタボの影におびえて
ふと気がつけばもう30過ぎ!

この書から一文を引用します.

 人はある朝、憂うつな認識とともに目覚めるのだ.
「私はそろそろ四十なのに、まだ何一つやり遂げていない!
 世界に自分の足跡を残していないんだ!」

 ところがこういう人々はたいていの場合、三十年か四十年の
 歳月によって、充分な功績をあげているものだ.
 社会における地位を確立したし
 すでにそこそこの稼ぎもあるし
 税金によって恵まれない人々を扶助もしている.
 ほとんどが結婚し、子供たちをかなりきちんと育てており
 犯罪を置かしたり、精神異常をきたしたりしてはいない.

 これは全て意義ある偉業である!
 
 問題は、青春の華々しい夢と比較すると
 それが陳腐に感じられることなのだ.

大人になるということは、
青春の理想と、青春の神聖な魔法と決別するということです.
若者時代、青春時代を超えて、30代を超えて
これからの時間と現実の生活と、現実の仕事と
どのように折り合いを付けるか、ということです.

医師を志す頃には、誰もが
スーパーヒーローを目指しています.

あらゆる病気を自分の手で直してやろうという
そんな万能感です.

現実の医療の仕事は、立った一人の力で立ち向かえるほど
生易しいものではないことに気がつきます.

それでも最初は、体力と若さにものを言わせて
ぐんぐん突っ走っていきます.

そしてこのグリム童話の物語のように
鏡をみれば、自分がもう若者ではないことに気がつき
自分よりも体力も若さも(技術も知識も)
上である若者の存在に気がつくことになります.

それが世代交代でもあり、そうして次から次に
バトンが受け渡されていくわけです.

神から与えられた残りの寿命も
神から与えられた医師としての残りの時間を
これまでと同様に意義あるものとしていくために
今一度、これからの過ごし方を考えていかなければと思います.

これまで以上に、自分の周りに
どれだけ思いを同じくする仲間を集められるかということが
重要になってくると思います.
さらにどれだけの若い人に、自分の思いを伝えられるかも.

自分自身が研修医の頃と比べて
技術、知識ともに格段の進歩があるのは間違いのないのですが
徹夜しても疲れないというような、無鉄砲な
体力はもう失われてしまいました.

その代わりといってはなんですが、失った体力と引き換えに
患者さんや患者さんの家族とともに
もう少し、人間の死というものについて
深く会話ができるようになったような気がしています.

年を取って若者のように体力を無くしても
死というものにより深く理解を得ることができれば
若くない医師でも、まだ存在価値はありそうです.

ベッドサイドや外来で
本来はさけるべき死について
語り合えることのできる医師というのが
私の目指す一つの到達点です.

故 古高先生は、自然に患者さんと
そういう会話が、できていたのです.
by yangt3 | 2008-06-01 22:12 | 一般