もはや東可児病院循環器科の非公式ブログです(^.^)


by yangt3
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病棟カンファレンス

入院患者さんを診療する病棟では
毎週定期的にカンファレンスが開かれます.
新たに入院した患者さんの紹介、
プレゼンテーションが行われ
診断や治療方針について
みんなで知恵をしぼります.

また難しい症例については
なんども繰り返しカンファレンスの席で
みんなで相談しあって治療方針を決めていきます.

現代の医療では、医師一人が
重要な意志決定を行うことは少なく
こうしていわば合議制で
十分に議論をつくして診療を行っています.

病棟カンファレンス_a0055913_014899.gif





とある病院の朝のカンファレンスの風景です.
昔の写真で、まだ電子カルテが導入される
前のことで、通常の紙カルテのころの話です.
CT写真もまだPACS(医療画像配信システム)が
導入される前で、通常のフィルムを
シャーカステンにかけて読影しています.

病棟カンファレンス_a0055913_024615.gif


国家試験に合格し医師となって
病院での研修が始まると
このカンファレンスが最初の試練となります.

私が教えを乞うた当時の上司の先生は
患者さんの病状はすべて暗記しろと
要求されました.
病状、経過から始まり、家族歴、レントゲンの所見
すべて頭の中に入れておくようにいわれました.
血液検査にいたっては、すべての項目、数値を
みんな暗記してそらんじなければだめだと
教えられました.

その心は、すべてを丸暗記するくらいに
患者さんの病状やデータを頭にいれなさいという
ことだったと思います.
とはいうものの、卒業したての右も左も
わからない研修医にとっては、
このカンファレンスのハードルは
本当に高いものでした.

総回診で、研修医と指導医が一緒に
受け持ち患者さんの診察を行う機会はありますが
日常の患者さんの診察、ケアは、担当となった
研修医が行います.
経験の浅い研修医にとって、その修行時代に
受け持った患者さんへの思い入れは
格別です.気になったことがあれば
何度も患者さんのベッドサイドに足を運びます.

だいたい、問診(病状の経過などを聞き出す)
ひとつにしても、要領良く一回の面談で
すませることができません.
あとから、「あっ、これとあれを聞き忘れた!」
という感じで、何度も何度も足を運ぶわけです.

教科書でならっても、指導医に
今後の治療経過を聞いていたとしても
実際の患者さんに接するのが初めてなので
研修医にとっては、あらゆることが
心配のたねになります.

事細かな患者さんの訴えを聞いては
頭を悩ませ、教科書とにらめっこし
あげくの果ては、朝晩構わず、指導医に
質問に行き、その先生をして
あきれさせることになります.

通常の市中肺炎でも腎盂腎炎でも
抗生剤が効いてくれば良好な経過だということが
頭でわかっていても、
「先生、熱がでてしんどいねえ」と
患者にいわれると、いてもたっても
いられなくなってしまいます.

研修医にとって、修業時代にであった
患者さんたちは、知や理ではなく
情で接するところが多かったようです.
もうほとんど半分くらい、自分のおじいちゃん
おばあちゃん、おじさん、おばさんって
感じになってしまいます.

熱心な研修医の先生になれば
通常の診察だけでなく
患者さんのそばでながながと世間話をしたり
身内の事細かな打ち明け話まで
聞かされていたりします.
お見舞いにもらった果物だのお菓子だのを
一緒にいただいたりして(笑)

桜咲く頃には、不届きなことに
桜の枝を手折って、外出できない
患者さんの枕元に届けた研修医の先生もいました.
枝を折るのは感心できないですが
その思いやりが気持ちいいですよね 

ちなみに研修医の先生に桜をもらった
患者さんは、心不全で長期入院中で
2人の研修医の先生のケアを受けて
今もお元気にされているそうです.

そんなわけで、受け持ち患者さんへの
思い入れいっぱいで、情をもって
カンファレンスに臨む研修医なのですが
冷静で理性の上司にとことん攻め込まれ
指導をうけ、ぼろぼろになってしまいます.

指導医も実は、心の中で
研修医の情熱に感心しながらも
そんなことは、おくびにもださずに
容赦なく愛のムチを続けるのです.

その後、研修医の先生も要領がわかってくると
上司に突っ込まれないように
うまくまとめたり、ぼろを出さないようになります.
研修に慣れてくると、医療技術を身に付ける方に
気持ちが移ってしまいます.
医師としての技術がまだ未熟であった時に
一生懸命、患者のベッドサイドに通った時の気持ちは
そうして、いつしか薄らいでしまうようです.

病棟カンファレンス_a0055913_031577.gif


私自身もこうしたカンファレンスを
経験して、少しずつ医師として
育てられたと思います.

若いからとか、経験が浅いからとか
そんな理由で発言を封じ込めてしまっては
よいカンファレンスにはなりません.
研修医のころの思い出が
はるか遠くになってしまいましたが
医師にとって、理性や経験や知識と同様に
研修医のころの無償の情熱というようなものが
同じくらいに大事ではなかったかと
思います.

変に肩書きやしがらみで縛られてしまうと
自由な発想や、良いと思ったことを
素直に実行することが出来なくなってきます.

すべてのこだわりや感情も、これまでのいきさつも
みんな水に流して、赤ちゃんみたいな心で
今一度、みんなの話を聞いてみたい気分です.
by yangt3 | 2006-11-09 00:03 | コーヒーブレイク(雑談)