もはや東可児病院循環器科の非公式ブログです(^.^)


by yangt3
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思い出の機械たち

日本機械学会が、歴史に残る日本の機械を保存し
次世代に伝えるために
「機械遺産」25件を認定したそうです.

--------------東京新聞 TOKYO Web
『機械遺産』25件初認定 “夢の超特急”新幹線 
1950年完成胃カメラ 日本機械学会
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007081102040420.html

 蒸気機関車や新幹線、ブルドーザーに胃カメラ.
 日本機械学会は、歴史に残る日本の機械を保存し、
 次世代に伝えるため「機械遺産」の認定制度を創設、
 二十五件を選んだ。現物に触れ、新たな技術開発の
 きっかけになればと、今後十年で百件程度に増やす計画だ.
 機械技術の発展史上重要な成果や、国民生活の向上に
 貢献したものなどが対象。会員の推薦を基に評価を進めてきた.
 (中略)
  遺産選定は、今年、創立百十周年の同学会の記念事業.
 選定委委員長の堤一郎中央大非常勤講師(産業技術史)は
 「機械には製造当時の技術が内在しており、
 現物がないと技術が持つ真の姿は見いだせない.
 機械づくりに人生をささげた人々の意志を、後世に伝えたい」と話している.
--------------------------------------------------------------------
機械遺産の詳しい内容は次のページで
記載されています.

社団法人 日本機械学会
日本機械学会認定「機械遺産」の所在地及び連絡先一覧
http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/list.html

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選ばれた機械を見てみると、懐かしい物が一杯です.
・コマツブルドーザーG40(小松1型均土機)
・東海道新幹線0系電動客車

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・230形233号タンク式蒸気機関車
・旅客機YS11

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などなどです.
ある意味、郷愁をさそう感じです.

医療機器としては、オリンパスの胃カメラが選ばれています.
・オリンパス ガストロカメラGT- I

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1950年(昭和25年)に最初の胃カメラの試作機が作られたそうです.

最近、世間ではレトロブームだそうです.
一時のブームではなくて、未来の戦略を考えていくためにも
歴史をきちんと研究することは必要なことだと思います.

自分たちのよって立っているものを詳しく知るためにも.

循環器の分野においても、カテーテル治療の分野においても
バルーン、ステント、薬剤溶出ステントなど
劇的な進歩は、本当に最近の事です.
私が学生時代の頃は、バルーンしかなかった時代だったのです.
そんな専門的な狭い領域でさえ
歴史の流れと波を感じざるを得ません.
そうした詳細かつ学術的な、カテの歴史については
他の成書にお任せするとして
私の個人的な、機械遺産を考えてみたいと思います.

・胃カメラ
 研修医の頃は、全科ローテートしました.
 胃カメラも大腸ファイバーも、一通りの研修はやってきました.
 研修医の頃には、今のような電子内視鏡などというものはなく
 いわゆるアナログ式、光学式のカメラしかありませんでした.
 文字通りファイバーの手元に顕微鏡のようにのぞき穴があって
 それを見ながら検査をしていました.
 今の電子内視鏡のように、モニター画面を見ながらと違い
 ファイバーの動きに合わせて、こちらも身体を動かさないと
 だめなので、口の悪い看護婦さんに胃カメラ踊りと呼ばれるような
 激しい動きが必要でした.
 指導を受ける方も、ティーチングスコープと呼ばれるもので
 視野が限られていて、本当に教育も大変でした.

・CT
 今の時代とは比べ物にならないほど
 画像も不鮮明で、それでも脳出血やくも膜下出血が診断できると
 救急医、脳外科医は喜んでいたものでした.
 マルチスライスもなくヘリカルスキャンもなく
 CTとってもわけわからない、というのは大げさですが
 微小病変の診断は、本当に大変でした.
 昔は、まだMRもなく、なにかあれば血管造影という時代でした.
 現在の高性能CTの進歩は、全く夢のようです.
 昔の研修医にとっては、それでも
 画像が悪かろうが、当直勤務には、なくてはならない
 大切な医療器械でした.

・腹部エコー
 エコーも、今の時代から比べれば、全然画像が悪かったです.
 それでも私が研修を受けた病院では
 エコーで腸管を診断するという、今では当たり前ですが
 一昔前では、ちょっと最先端のことを
 一生懸命にやっていました.
 検査する医師や技師の熱意が、いかに重要であるか.
 そんなことを、昔のエコーの機械で学んだような気がします.

・オペ室
 機械ではないのですが、研修医の頃には
 オペ室は、本当に特別な場所でした.
 まずオペ室の看護師さんたちは、皆一様にばりばりと
 きびきびと動いて、研修医風情には、怖くて近寄れないほどでした.
 怒られながら、手洗いをして、清潔操作をしていた頃が
 懐かしいです.
 あの頃の無影灯の輝きは、格別だったように思います.
 (本当は、先輩に叱られてばかりのつらい思い出だけ...)

・救急外来
 救急外来の装備は、今も基本は変わらないのかもしれません.
 救急セットの中身は、今も共通です.
 ボスミン、カテコラミンなどの薬剤.挿管チューブ.バックマスクなど.
 喉頭鏡も一緒です.
 昔は、AEDはありませんでしたが、今も使われる
 通常のDCカウンター装置を使っていました.
 医者になって初めて、心肺停止の患者さんに
 電気ショックをかけた時の感触は
 今も覚えています.
 救急外来には、人工呼吸器を置いてあるのですが
 昔は、本当に今から思えば”原始的”な人工呼吸器しかなかったのです.
 それでも救命の勝負は最初の数分であって
 心拍再開すれば、集中治療室なり病棟なりに上げて
 治療を継続できるわけですが
 初期治療にあっては、医療スタッフの人海戦術ということになります.
 研修医の頃に、救急外来で、先輩に叱咤激励されながら
 初めて行った心肺蘇生の場面は、忘れられないでしょう.

・心臓カテーテル検査室
 研修医の頃は、血管造影検査室に立ち入る事はほとんどありあせんでした.
 今とは違い、急性心筋梗塞に緊急で心臓カテーテル検査を行うのは
 一部の専門循環器施設だけで、ほとんどの緊急病院では
 内科的治療で症状の改善をまって、慢性期においてやっと
 カテーテル検査を行っていました.
 初期研修を行った病院では、心臓カテーテルを行う医師がおらず
 他施設に搬送していました.
 私が本格的に心臓カテーテル検査室に立ち入るようになったのは
 研修を終わってからで
 それが故 古高先生との最初の出会いでもありました.
 心臓血管用のカテーテル検査装置は
 今とは違い、フラットパネルでもなく、細かなデジタル処理もなく
 ブラウン管方式であって、大変でした.
 画像的にもかなり荒い画像でありました.
 
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 皆で一生懸命に目を凝らして、冠動脈の病変部を確認していました.
 カテーテル治療を行うにも、機械への慣れが必要で
 ある意味、本当に名人芸が必要とされた機械でした.

 あとからの症例検討会でも、病変をきちんと診断するために
 みんなで頭を突き合わせて、なんどもなんども
 フィルムやビデオを見ていました.
 
 カテ画像の出力は一般的ではなかったため
 心臓カテーテル検査の記録は、所見をもとに
 手書きでイラストを描いていました.

 その頃は、Mac SE/30というオールドMacが活躍していた頃で
 個人的には、MacPaintと、ファイルメーカー、エクセルなどを駆使して
 手書きイラストによるカテ所見を
 Macに記録して、手作りデーターベースを作っていました.
 
 こんな時代からわがMacは
 カテ室で活躍していたのですね.

 カテーテル検査の記録も、今のようなCDもなく、DVDもなく
 HDレコーダーもなく、テープに記録、保存していました.
 カテ記録は、カテフィルムとして、専用のケースにいれて
 山積みにされていました.
 このカテフィルムの専用のビュアーがあって
 循環器科レジデントの最初の仕事は、このシネフィルムビューアーを
 準備し、フィルムをちゃんと装着することでした.
 カテーテル検査を記録したシネ画像のフィルムの右左、裏表が
 しばしばわからくなったり、間違って機械に装着したりして
 最後は長いフィルムが身体に絡まって
 大変なことになったりしました.
 もちろんフィルム編集は手作業で、フィルムとフィルムの間は
 テープで固定していた時代です.

思い出の機械たち_a0055913_0214754.gif

(適当な写真がなく
 高田上谷病院ホームページからお借りしました.
 http://www.kosen.org/homepage/ktkbyoin/ktkbyoin.html)

 循環器の学会や研究会でも、この冠動脈造影シネフィルムビューアーが
 おいてあって、主演者が発表しているのに合わせて
 もう一人が、このシネ装置を操作していました.
 なんといってもフィルムなので、
CD、DVD、HDのような便利な頭出しなどなく
 ひたすら手作業で、巻き戻し、早送りを行っていたそんな時代でした.
 せっかちな先生の矢継ぎ早の指示に
 研修医の先生がてんてこ舞いして機械を操作しているのが
 普通に目にされていました.
 学会用のカテ画像のスライドも、このシネフィルムビューアーから
 直接カメラで写真を撮影して作っていました.
 昔は、カテの学会スライドをつくるのも
 本当に大変でした.
 沢山のカテーテルの症例を学会用のスライドにまとめようとすると
 それこそ、沢山のフィルムで机の上が山になってしまうほどでした.
 
 このシネフィルムビューアーは、今はほとんどみることは
 できなくなりました.
 そういう意味では、この機械を機械遺産として
 個人的に登録しておきたいです.

心臓カテーテル検査、治療にまつわる機械は、私には
常に故 古高先生の思い出とともにあるわけで
機械遺産とはすなわち、古高先生の思い出遺産ということになりそうです.

心臓カテーテル検査にまつわる機械だけでも、ここ最近の医療機器の進歩と
急速なIT化、デジタル化の波で、消え去っていった機械が
沢山あります.
もはや現物をみたこともない若い人に
こうした昔の話をするのは、せん無き事なのかもしれません.

機械遺産となった機械だけでなく
名も無く歴史に消えていった数多くの機械も含めて
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
ということなのでしょう.

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by yangt3 | 2007-08-16 00:22 | ニュース