もはや東可児病院循環器科の非公式ブログです(^.^)


by yangt3
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思い起こすも悲惨な日々...

2年前まで勤めていた病院は
自宅から20キロ離れていて
往復40キロの通勤距離でした.

医者の生活は、なかなか定時に帰れるものでもなく
緊急呼び出しが続くと
1日に3往復もすることもざらでした.

つまり40キロx3往復で一日120キロというわけです.

今は、自宅から病院まで10分の距離なので
昔を思えば、本当に余裕だし
気分的にもかなり楽になっています.

往復40キロのオンコール生活が
いかに悲惨なものであったか.

語るも涙です...

思い起こすも悲惨な日々..._a0055913_15521572.gif






ある休日に、子供たちを連れて
遊園地に出かけようとしていました.

もうちょっとで遊園地に着くというところで
緊急呼び出しの電話.
家族をつれて病院にいくわけにもいかず
家族を家に送っていったのでは
間に合わず、とにっちもさっちも
行かない状況でした.

子供たちは、遊園地に行きたいと泣き出すし.

結局、家族を遊園地に降ろして
遊園地で子供たちと奥さんとで
遊んでもらっている間に
私が一人病院に向かい
緊急に対応しました.

緊急処置が終わった頃にちょうど
遊園地の閉園時間となり
病院から遊園地まで家族を迎えに逝きました.
もし間に合わなかったら
家族は、タクシーで遊園地から
家まで帰らなければいけないところでした.

またある時は、大型台風が接近中の日のことです.
夜には暴風雨圏内に突入するとのことで
この日だけは、定時に
病院を出て帰宅しました.
幸いに、暴風雨が吹き荒れる前に
何事もなく自宅にたどり着きました.

まるで家に帰ったのを見透かしたように
帰宅してすぐに、また緊急コール.
せっかく台風をさけたのに
結局また、暴風雨が吹き荒れる中を
決死の覚悟で病院へ向かいました.

思い起こすも悲惨な日々です.

当直勤務で医者がたった一人しか
いなければできることは、本当に限られます.
手が足りなければ応援を呼ぶとしても
救急が到着した最初の30分の対応や処置が
救命の鍵を握るとすれば
ある程度の人員をそろえなければ
救急の最低限のニーズに応えられないと
思います.

当直する医師が2人でも、多くの重症がくれば
やはり手が足らなくなります.

当直する医師が4人いても、多発外傷や緊急手術に
緊急カテに心肺停止が同時に来院すれば
どうにもなりません.

真剣に救急を行おうとすれば
これでよいと容易に妥協することは
できないと思います.

昔勤めた病院では、外科系1名、内科系1名、小児科1名
の3人医師体制でした.
重症患者の搬送や、多人数の救急来院の際には
科や専門を超えて、お互いにヘルプし合いました.

それにしても
ある時、病棟患者が急変し心肺停止となり
当直医総出で心肺蘇生を行っていました.

心臓マッサージの最中に、さらに
もう一台、心肺停止の救急車が来院しました.

この時には、院内心肺停止と、救急の心肺停止に
多少の時間差があったため
なんとか対応することができました.

もし夜間、深夜、当直帯で
心肺停止が同時に2例以上発生したら
現状の当直体制では、対応が本当に難しいと思います.

それでも以前の病院に勤務している時に
近くの空港で大きな航空機事故が発生しました.
重症患者が搬送されるかもしれないと
関係機関から連絡があり
すぐに当番、非番をとわず、対応可能な全職員に
緊急招集がかかりました.

夕方の通勤ラッシュ中という、交通渋滞のなか
多くの医師、看護師を始めとする
職員が病院に集まり
非常に心強く思った事があります.

結局、この事故の際には
私たちの病院には、緊急搬送はなく
情報が錯綜するなか、多くの職員が緊急招集のまま
深夜まで病院内で待機していました.

これからの救急を考えていく場合に
限られたカリスマ的なスーパーマンのような
スタッフに頼るのは危険なのかもしれません.

決して無理せず、継続可能であって
多くの普通の職員が、即時に応援可能なシステムでなければ
限られた医療資源や医療スタッフのもとで
救急を維持することはできないと感じます.

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by yangt3 | 2007-11-04 15:45 | コーヒーブレイク(雑談)