いつまでも、いつまでも
2008年 06月 16日
以前に努めていた病院では、多くの同僚と上司と
良き仲間たちと働いていました.
私が循環器、カテーテルの手ほどきを受けた
古高先生への感謝の念や様々な思いは
今も尽きることはありません.
歓送の歌
http://tomochans.exblog.jp/3516872/
小椋 佳の歌う「歓送の歌」を聞くといまでも切ない思いが
よみがえってきます.
出会いのその日から 街のよどみ消えて
星たちに輝き還り 僕に力が 君のお陰さ
互いの情熱と 夢をぶつけ合って
透きとおる涙を流したね 汗に隠して
君を贈る この日まで 一生懸命過ぎるほどの
暮らし こぶし 眼差し どれもが 素晴らしい記念日 誇りさ
若いからじゃなくて 夢にいどむことで
僕達に別れはないという 心通えば
2003年の10月11日の朝に
私の敬愛する上司は、突然に天に召されてしまいました.
今でもあの頃の記憶は
万感の思いがこみ上げてきて涙なしには
語ることができません.
私の同僚も、上司とともに仕事をした仲間たちも
同じ思いでしょう.
私が今の職場に移るきっかけを作ってくれたのも
実は上司である 古高先生でした.
古高先生と東可児病院のつながり
http://tomochans.exblog.jp/2732033/
この記事にあるように、その昔
この病院で 故 古高先生が循環器の診療をされていたことが
あります.
古高先生がペースメーカー植え込み手術をされた患者さんも
おられます.
そんな縁でもって
この可児の地で仕事をすることになりました.
古高先生や気の知れた仲間達と共に仕事した日々を忘れずに
心の支えとして仕事を続けています.
時折、こちらの病院でも古いカルテで見つける
古高先生の懐かしい筆跡をみては
懐かしさで一杯になります.
先日、ペースメーカーの電池交換を行った患者さんが
入院されましたが、古い記録を調べてみると
その人のペースメーカー植え込み手術を行ったのが
古高先生だったのでした.
長い年月を経て、元気だった頃の
古高先生につながった気持ちがして
ちょっと元気が出たような気がします.
これもまた思いを継ぐということだと思います.
古高先生への思いを込めて
精一杯の仕事をさせてもらいました.
古高先生が診療されていた沢山の患者さんたちが
今も健やかであることを願わずにはおられません.
師匠の思いを引き継ぐ私の思いがまた
次の世代に引き継いでもらえるように
今できることを頑張ろうと思います.
一人で頑張るのは、たまにつらくなりますが
師への思いが私の支えだと
改めて感じました.